スペシャライズド セコイアと行く、近場の山サイクリング Vol.4
セコイアと行く第4弾となりました。今回も近場の山サイクリングです。
今回は、新しい道ができる前の道を訪れてみるルートでした。半世紀以上も前に使われていた道は、今は使われなくなっているため荒廃していました。
途中までのいけますが、荒れていて先に進めませんでした。マップには、道が載っていたりしますが実際には通行できなく折り返すことになること数回。
押して歩くので、脚はパンパン。自転車に乗らずともガッツリ疲れました。
参加者:かっちさん、すなっちさん、僕
距離:60.40km
高度上昇値:1,259m
タイトルの通り、4弾も近場です。
旧道をめぐるサイクリングとなりました。
集合場所は、比較的近くのため自走で向かいました。
集合場所の池では野焼きをするらしく、その準備していました。
到着すると、すなっちさんは準備中。かっちさんも程なく到着し、出発となりました。
ボトルを忘れた、かっちさん、すなっちさんのために近くの自販機で水を購入。
ふと見ると怪しげな自販機が、結構年代を感じる自販機があり中には、なつかしい商品もありました。
購入が怖かったので、購入は断念。
水も購入し、出発。今回のルートもわからないところなのでついていくだけ。
早速上りの始まり。遠くでは、集合場所の池の野焼きが始まっているようで、煙が立ち込めているのが確認できました。
のぼりの練習にはもってこいの坂をドンドン上っていきます。
途中で、神社があるということで参拝することに。
知りませんでしたが、狼を信仰している神社だとか。もののけ姫を思い出します。旅の安全を祈願して先に進みました。
引き返して、伊台方面へ。
こちらもなかなかの斜面。その昔、すなっちさんとやまDさんとで今治の帰りにこの道で帰ったそうですが、やまDさんをギャフンといわせたかったそうですが、逆にギャフンと言わされたそうです。
途中で、良さげな道を発見、奥も続いてる感じでした。
峠らしき場所から、脇道に入ってさらに高度を上げ、分岐点へ。
ここから、下るかと思いきや、さらに上らしい。
気合を入れ直して上っていくと、道がきれていました。お土産にたくさんのセンダングサをいただきました。
来た道を引き返し、下って行くと見慣れた道へ。
ここで、すなっちさんの後輪から異音が。
ブレーキパッドが外れかけていました。激坂下りのときで良かったです。修理中、ローディーが1人、心配して声をかけていただきました。
「かっちさんでは?」界隈で有名人ですね。
その後、なんとか修理が完了し、出発。五明から四国の道へ入っていきました。
広かった道もすぐ狭くなり、荒れてきました。
上りは続きます。
峠か?と思いましたが、丘だったようです。
荒れた道は終わり。キレイな舗装路へ。しかし、細い道でした。左は小川、右は石垣いい雰囲気でした。
四国の道を進んでいきます。この日は暖かく絶好のサイクリング日和。
四国の道は看板が出ているので、確認しつつペダルを回していきました。
また道がアスファルトから、コンクリートへ。
あれが峠か?と思いながら、気合を入れました。
到着と思いきや、まだまだ先がありました。
フラフラになりながら、上りました。
幸次ヶ峠に到着。右手には、石ヶ峠へ通じる道だそうです。
昔の名残か、石畳の道が続いていました。
石ヶ峠の道ではなく、別の道で牛谷という場所へ向ける道があるというので行ってみました。
が、先に続く道はなし。どうやら道を間違えたらしい。
引き合えしてい行くと、道らしきものがありました?
これか?と思いながら付いていくと、道らしき感じになってきました。
分岐点を左に行き、道が切れてました。
来た道を戻って右のルートへ。
今度は地図にもgoogleマップにも載っている道でしたが、こちらも道は切れていました。
仕方なく、このルート自体は諦めてアルファル舗装の道でゴルフ場の道へ。
ゴルフ場を抜けて、裏道で北条へ。
ようやくお昼。
北京飯店でからあげ定食(800円) 。昼を過ぎて、かっちさんが、からあげ、からあげって言っていたので、洗脳されました。
お腹を満たして、午後の部は近くの粟井坂という場所に。
海岸の道ができるまでは、 山を越えて松山ー北条間を行き来していたらしいです。
という訳で、言ってみることにさすがに乗っていけないので、押して移動。
少し広い場所に出てきました。落ち葉てふかふかです。
眼下には海がみえて、いい景色です。
更に進むと、関所跡がありました。
塀の内側には、河野通清をいう方の供養塔(松山市指定記念物(史跡))が設置されていました。
地域の歴史に詳しい人がいると説明してくれそうでう良いのですが・・・そう都合がよくはいかないですね。
国道に戻って、途中でバイパスを抜けて、山の方へ。
畑には、菜の花が咲いていました。
かっちさんが、途中で菜園で働いていた夫婦の方に、道を伺っていました。
多分つながっていないとのことでしたが、取り敢えず行けるだけ行ってみることに。
溜池を抜けて先に行くと、みかん山でした。
途中、農家の方に聞きましたが、やはりつながっていない模様。
それでも行けるところまで行ってみようということで行ってみました。
だんだん荒れてきて、行き止まり。
探査隊が藪をかき分けて進んでみましたが、やはり無理っぽそうだということで引き返しました。
次は、堀江港へ。
すなっちさん、かっちさんそれぞれ思い出があるようです。
海の駅の屋上へ、近隣の島島のマップがありました。僕は、興居島と中島しか行ったことがありません。
お二人は若い頃いろいろと行ったことがあるようです。
屋上には旗がありました。
国際信号旗のようです。旗2つで意味が「ご安航を祈る」 だそうです。
海の駅を後にし、堀江海岸へ。
途中堤防に自転車を担いで上がりました。
海岸線をボチボチ走りました。天気がいいので、気持ちがいい。
時期的に人がほとんどいない海岸。少しだけ砂浜を走りました。まっすぐは走れますが曲がるのが難しい。
練習が必要です。
その後、近くで解散して、1人海岸線をひたすら走りました。
速度を出すのが難しく、脚が衰えているのか、自転車が重いのかわかりませんが、トレーニングのつもりで走りました。
汗だくで帰宅しサイクリング終了。
着替えて、バラの剪定を行いました。
この投稿へのコメント
粟井坂に関所が有ったとは、知りませんでした・・・海岸道路が出来たのは明治13年と有りましたが、ほんの138年前ですよね~。
黒船が来てから留まる事が無い技術革新・・・たった60年しか生きて無いけど昭和30年代の景色がぼんやり蘇ります。
100年後はどんな世界が見られるか、生まれまわって・・・蘇りたい物です・・・。
坂本竜馬の時代は、歩くか帆船か馬位しか移動手段は無かったのですよね~・・・150年程しか経ってないのに・・・今の道は瞬間移動できますからね~~~。。
>かっち様
お疲れ様でした。
関所に立派な供養塔、手入れされた塀には驚きました。
便利になって失ったものは多いですが、もっと自転車に乗って昔の景色を楽しんでみたいと思いました。